2024年7月29日、スケートボードの堀米雄斗(ほりごめ ゆうと)選手がパリオリンピックで金メダルを獲得しました!
堀米雄斗選手は父親もスケートボーダーということはご存知ですか?
堀米雄斗選手がスケートボードを始めるきっかけを作ったのが父親とのことで、どんな人物なのか気になります。
今回の記事では、
- 堀米雄斗の父親はスケートボーダーで実力は?
- 堀米雄斗の父親のバックアップが凄くてスパルタ!
- 【2024最新】堀米雄斗の父親は現在何をしている?
これらについて気になったのでご紹介します。
一緒に見ていきましょう♪
Contents
堀米雄斗の父親はスケートボーダーで実力は?
堀米雄斗選手の父親は、中学生から2024年現在までスケートボードを続けてきました。
父親のプロフィールがこちら。
堀米亮太(ほりごめ りょうた)
- 生年月日:1974年10月11日
- 年齢:49歳(※2024年7月時点)
- 地元:埼玉県八潮市
前述通り、父親がスケートボードを始めたのは中学1年生の時。
友人がスケートボードをしていたことや、フリースタイルの映像を見て興味が湧いたのがきっかけだったそうです。
当初は2,000円ほどの安いボードで練習をしていたという父親。
しかし、「テストで良い点を取る」という約束を果たして親に4万円以上のボードを買ってもらったそうですよ。
それからというもの、近所の公園に行ってはスケートボードの技を磨いたといいます。
父親のスケートボードの実力は、大会に出れば優勝候補になるくらい凄かったそうです。
100人ほど出場した大会で5位を獲得したこともある、というからかなりの実力ですね。
ただ、父親はあまり大会には出場してきませんでした。
その理由は「スケードボードは競うものではない!」と考えているから。
父親なりの信念があったのですね。
その後父親は、結婚を機にスケートボードを辞めています。
堀米雄斗がスケートボードを始めたきっかけは父親!
堀米雄斗選手が生まれると父親のスケートボード熱が再燃。
堀米雄斗選手が歩く前からスケートボードデビューさせたというから驚きです!
一度はスケートボードを辞めた父親ですが、堀米雄斗選手が生まれると家の近所にある大島小松川公園に頻繁に連れて行ったとか。
堀米雄斗選手と散歩に行く、というのを口実に、父親はスケートボードを楽しんでいたそうです。
まだ歩けなかった堀米雄斗選手は、父親のスケートボード仲間にデッキに乗せてもらって遊んでいたといいます。
堀米雄斗選手は生まれてすぐの頃からスケートボードと触れ合ってきたのですね。
堀米雄斗選手が本格的にスケートボードを始めたのは、6歳の時!
千葉県浦安市に運動公園スケートボード場ができたのをきっかけに、父親に連れられて毎週スケートボードを練習したそうです。
堀米雄斗選手が9歳になる頃には、すでにその実力は父親超えだったとか。
堀米雄斗選手がスケートボードを始めたきっかけや基礎を作ったのは父親だったと分かりました。
堀米雄斗の父親のバックアップが凄くてスパルタ!
引用:https://www.sponichi.co.jp/
堀米雄斗選手の父親は、息子のバックアップのためにさまざまな努力をしてきました。
最初は技の習得が遅かったという堀米雄斗選手。
そんな堀米雄斗選手に対して、父親はスパルタ指導を始めたといいます。
スパルタにする理由は「最初のうちにスケートボードの厳しさを教え、嫌になるなら辞めちゃえばいい」という考えがあったから。
堀米雄斗選手の自主性を重んじていたのですね。
やがて堀米雄斗選手は、小学5年生にして海外のコンテストに参加するまでの実力をつけていきます。
実力を上げていく堀米雄斗選手でしたが、一方の父親は「変にカッコつけて滑るな」とアドバイス。
泣く場面じゃない時に泣くな、など、厳しくも堀米雄斗選手のためを思って言葉をかけてきました。
そんな父親は、堀米雄斗選手をサポートするために普段の仕事の他に洗車のアルバイトを始めたそう。
スケートボードを続けていると海外遠征などでお金がかかるため、仕事を増やしたのですね。
堀米雄斗選手がここまでスケートボードを続けてきたのは、父親のサポートとスパルタ指導のおかげと言えるでしょう。
また、堀米雄斗選手が高校卒業後にアメリカ移住したのにも父親の後押しがあったとされています。
堀米雄斗選手は、世界で一番うまいスケートボーダーを目指して本場・アメリカへの移住を決意しました。
たった小学6年生での決意だったそうですが、父親の教えからアメリカ行きを実現させたようです。
【2024最新】堀米雄斗の父親は現在何をしている?
引用:https://www.instagram.com/
2024年現在、堀米雄斗選手の父親はタクシー運転手として働いている可能性が高いです。
2021年8月6日の『女性自身』インタビューで、父親がタクシー運転手をしていることが発覚!
堀米が6歳でスケボーを始めて以来、タクシー運転手の父・亮太さんと夫婦二人三脚でサポートしてきた。
父親がどこのタクシー会社に勤務しているかまでは分かりませんでした。
ちなみに父親の前職は、トラック運転手だったそう。
堀米雄斗選手が生まれた当時はトラック運転手だったものの、子供といる時間を確保するためにタクシー運転手に転身しました。
ただ、新型コロナウイルスによりタクシー業界は打撃を受けています。
もしかしたら父親は、2024年現在他の職業をしているかもしれません。
堀米雄斗選手の活躍により、今後父親がスケートボードの指導者になる可能性もありそうですね!
堀米雄斗の父親はスケートボーダーでバックアップが凄かった!まとめ
堀米雄斗(ほりごめ ゆうと)選手のスケートボーダーとしての実力は、父親譲りだと分かりました。
堀米雄斗の父親はスケートボーダーで実力は?
堀米雄斗の父親のバックアップが凄くてスパルタ!
【2024最新】堀米雄斗の父親は現在何をしている?
についてのまとめです。
- 父親は中学生から2024年現在までスケートボードを続けてきた
- 父親のスケートボードの実力は、大会に出れば優勝候補になるくらい凄かった
- 父親は堀米雄斗を生まれてすぐからスケートボードで遊ばせ、スケートボードを始めるきっかけを作った
- 父親は息子のバックアップのためにスパルタ指導をしつつ、本職以外にアルバイトをしてお金を工面していた
- 堀米雄斗がアメリカ行きを決意したのも父親のおしえのおかげと言われている
- 2024年現在、父親はタクシー運転手として働いている可能性が高い
堀米雄斗選手は歩く前から父親の影響でスケートボードと触れ合っており、まるで英才教育のようですね。
スケートボードを愛する父親の背中を見て育ったからこそ、今の堀米雄斗選手があるのでしょう。
これからも堀米雄斗選手の活躍を応援しています!