2024年現在、主にファッションデザイナーとして活躍中の篠原ともえ(しのはら ともえ)さん。
実家は寿司屋という噂があり、真相が気になります。
また、父親が寿司職人で母親がデザイナーとのことで、両親についても詳しく調査してみました!
今回の記事では、
- 篠原ともえの実家の寿司屋の場所はどこ?
- 篠原ともえの父親は寿司職人だった!
- 篠原ともえの母親がデザイナーは本当?
これらについて気になったのでご紹介します。
一緒に見ていきましょう♪
Contents
篠原ともえの実家の寿司屋の場所はどこ?
篠原ともえさんの実家は東京都青梅市にあり、寿司屋「孝寿司」を営んでいました。
寿司屋「孝寿司」の詳しい場所は…
東京都青梅市河辺町9-1-5-103 です。
確認したところ、実家の寿司屋はすでに閉店。
2024年現在では訪れることはできません。
シノラーブームが巻き起こっていた当時、実家が寿司屋だと公表した篠原ともえさん。
そのおかげで孝寿司は大繁盛し、篠原ともえさんファンの聖地として盛り上がっていたそうです。
孝寿司は地元でも人気の寿司屋だったようで、閉店を惜しむ人も多かったでしょう。
今でも孝寿司の寿司を食べたいと懐かしむ声があるそうですよ!
寿司屋は閉店しているものの、実家は今でも東京都青梅市にあると考えられます。
篠原ともえの父親は寿司職人だった!
篠原ともえさんの父親は寿司職人で、寡黙ながらも優しい人だといいます。
実家の寿司屋「孝寿司」を営んでいたのは、寿司職人だった父親なのですね。
篠原ともえさんは、いつも父親に美味しいお寿司を食べさせてもらっていたそうです。
そんな父親は寡黙で、口数の少ない人だったとか。
一方で篠原ともえさんがテレビで騒いでいても「うるさい」「派手すぎる」などと言ったことは一度もないといいます。
むしろ篠原ともえさんのことをいつでも応援してくれたというから、素敵ですね。
また、出前に行く際にそっと篠原ともえさんを連れ出して、「学校はどう?顔色が悪いよ?」と心配してくれたこともあったとか。
寡黙でありながら、篠原ともえさんのことをそっと見守り変化にも気づく優しい父親だったことがわかります。
篠原ともえの母親がデザイナーは本当?
篠原ともえさんの母親がデザイナーという噂はデマですが、洋裁や物作りが好きだったようです。
まず、母親がデザイナーという噂について。
母親の職業は公表されておらず、デザイナーというのはデマの可能性が高いです。
母親がデザイナーと勘違いされた理由は、篠原ともえさんのデザイナーとしての原点を作ったからでしょう。
元々洋裁が好きで、ベッドカバーなどを作ってくれたという母親。
幼い頃の篠原ともえさんは母親の姿を見て、針と糸を手に真似事をして遊んでいたとか。
見よう見まねで自分や人形の洋服をお揃いの生地で作ったというから、その頃からものづくりの才能があったのですね。
さらに篠原ともえさんは、10歳の時に母の日の贈り物でジーパンの生地で作ったポーチをプレゼントしたといいます。
それを見た母親は大喜びで誉めてくれたそう。
篠原ともえさん自身も、「物作りの原点は母との交流にある」と語っていました。
優しい母親ですが、生活の基本を守ることにはとても厳しかったという話も。
門限や言葉遣いはもちろん、作りかけの物を放っておくことも許さなかったそうです。
一度始めたことは最後までやり遂げるようにと、篠原ともえさんに教えてくれたそうですよ。
篠原ともえの実家の寿司屋の場所はどこ?父親・母親はどんな人だった?まとめ
篠原ともえ(しのはら ともえ)さんの実家と両親について、詳しくみてきました。
篠原ともえの実家の寿司屋の場所はどこ?
篠原ともえの父親は寿司職人だった!
篠原ともえの母親がデザイナーは本当?
についてのまとめです。
- 実家の寿司屋「孝寿司」がある場所は、東京都青梅市河辺町9-1-5-103
- 2024年現在、実家の寿司屋はすでに閉店している
- 父親は寿司職人で、寡黙ながらも優しい人
- 母親がデザイナーという噂はデマだが、洋裁が好きで、篠原ともえの物作りの原点を作った
父親は寿司職人で母親は洋裁好きということで、篠原ともえさんのクリエイティビティは両親譲りだとわかります。
今でも両親は、篠原ともえさんがデザインの仕事などで成功すると喜んでくれるそうですよ。
これからも、篠原ともえさんの活躍を応援しています!